正義の味方、それともただの変態? 仮面を付けているキャラクター特集

仮面ティーチャーという作品

藤沢とおる先生、お得意の教師活劇

『藤沢とおる』先生といえば、どの作品を真っ先に思いつくでしょうか。筆者としては世代でもあり、そして連載を実際の誌面で見ていた事もあって『GTO』をすぐに思いつきます。金髪にピアスな破天荒すぎる教師、鬼塚英吉による中学生を指導(?)する作品は90年代における代表作であり、数年前には再度テレビドラマ化したことで話題を集めた。面白いと言えば面白い、奇天烈な教師白書の物語は当時の問題、特に教育現場で実際にあった出来事すら投射した作品の世界観は多くのファンを作り上げました。

漫画を知らない人でもドラマを見て知ったという人もいるでしょう。どちらにしろ、現実にこんな教師がいたら確実に首が飛んでいるレベルな問題ばかりを繰り広げているので、フィクションだからこそ面白い。けれど現実に鬼塚のような教師が良いかといえば、そう思う人は少ないでしょう。何せまともに勉強を教えているシーンが本当に少なく、むしろクラスの中でも特に個性的な連中とつるんで悪さをしているくらいです。生徒のことを懸命に考えてくれているのは良いが、それ以上にもっと大事な教師としての仕事をしてくれといいたくなる。

センセーショナルな世界観で人気を呼び、教師を主役にして教育現場に蔓延する問題を鮮やかに表現する藤沢先生の作風と画力は見る人を圧倒する。こんなことある、もしかしたらあるかもしれないと思う問題に、教師自らが体当たりをしていく姿は爽快だ。リアルでそんなことをしていたら命がいくつあっても足りませんけどね。

そんな先生が得意としているだろう教師を主人公に据えた作品は他にもあります、その中でも代表的といえるものといえばGTOを除いて『仮面ティーチャー』ではないでしょうか。連載期間は一時の間は空いているものの、続編を含めて計2年間・全8巻の続編もまとめた作品だ。掲載されていたのは2006年から1年間、続編は2013年から1年半ほどとなっている。知らない人ももしかしたらいるかもしれません、まずは簡単に作品について紹介していこう。

仮面ティーチャー 概要

同作品は藤沢とおる先生が得意とする、名実ともにその確固たる地位を作り上げたGTOを彷彿とさせる世界観となっています。主人公である『荒木剛太』が東京でも名高い不良高校と呼ばれる極蘭高校へと派遣され、そこで不良たちとガチンコのバトルを繰り広げる内容、というわけではない。世間から隔離された狭小な高校社会により、10代中盤の少年少女達は誰もが悩むもの。ただこの高校に在学する生徒たちはそんな生易しいレベルで語れる不良たちばかりではなかった。

恐喝や万引きはもちろん、校内での暴力行為など日常茶飯事で、しまいには裏社会と関係しているというズブズブな生徒までいるという。そんな社会で主人公が立ち向かえるかというと、そもそも彼はただの派遣教師ではないのです。世の中に存在する問題校、そこへ侵入して問題児はもちろん、学校内で発生するあらゆる諸問題を解決・更生していく『仮面ティーチャープログラム』のスペシャル教師という設定だ。

どのように問題を収めていくのかといえば、喧嘩上等・拳で殴って勝敗決めようという。先ほどの発言を訂正しよう、ガチンコバトルを繰り広げていた。このご時世、教師が生徒を殴ってしまえばそれだけで教師の進退問題へと発展する時代だ。そもそも覆面で生徒たちを成敗していくのだから、破天荒な物語になっているのは言うまでもない。藤沢とおる先生はあいも変わらずこうした内容の作品が得意なようだ。ただこれもまた現代ならではの教育現場を写しだした作品なのかもしれません。

今時の教師の在り方

現代において教師とはどうあるべきなのか、その点が気になるところ。筆者にしても既に高校を卒業してから10年以上の時間が経過している。その当時と比べればやはり変化はきたしているようだ。すでに教育というものから離れた社会人視点から見ても、ここまで変容するものかと思わせる点がかいま見える。

あるレポートでは、将来的に教師とはこうあるべきだと紹介している。

  • 主体的に問題を発見・解決、リーダーシップ性を発揮する
  • 創造性やチャレンジ精神を育ませ、忍耐力と自己肯定感を促進させる
  • 感性や思いやり、コミュニケーション能力を成長させて多様性を受容させていく

言いたい事は分かる、けれどこれらをすれば子供は正しく育つと言い切れるのでしょうか。しかもこの時期、思春期ならではの大人や社会に対する反抗期に位置する頃だ。その中でここで述べられているような教育指導で本当に良いのか、と思うところがある。

最近は子供を特に『褒めて伸ばす』教育が流行している、言い方はおかしいかもしれないがその通りだからだ。こうした教育方針のせいか、最近では家庭でも学校でもまともに怒られたことがないという子供が多いというのです。怒られず自分のしたいことをして褒めてもらう、そうすれば子供は立派に成長すると信じられているのだから、寒気すら覚える理論だ。自己肯定感は得られるかもしれない、けれどそれも強すぎると怒られることに慣れる事が出来ない。肯定も大事だが、否定される事も社会では当然出くわすもの。反抗期ではそうした子供が親に対する反発心を受け止め、肯定と否定というものがどんなものかを覚えさせられるかが、人格形成に大きな影響を及ぼすののではないでしょうか。

仮面ティーチャーの世界でもそうした、現代特有の教育問題を投射した作品となっています。あながち何もかもフィクションとは言い切れないから面白くもあり、また恐ろしくもある。

やり過ぎな世界観

ただ藤沢とおる先生の作品で繰り広げられる内容は、生徒にしても何にしてもやりことなすことイタズラでは済まされない問題ばかりだ。それこそ作中では主人公が窓から突き落とされたりするといった、犯罪と言われてもおかしくな無法地帯と化している。確かに高校といえばそれなりに問題も起きるが、大半の生徒にすればそんな面倒なことするなよと内心では思っているでしょう。嫌な先生・生徒がいるとはいえ、あくまで表にばれないようなやり方でやるのが普通だ。

そういう意味ではこの作品を見ていると、いじめを題材にした『ライフ』を思い出す。この作品も大概、いじめの主犯格が父親の地位をいいコトに犯罪を平然としているのだから、どうなんだろうと言いたくなる。面白いといえば面白い、けれどやはり現実観は乏しい作品だ。

基本的に

そんな仮面ティーチャーだが、フィクションだからこそ面白い。そう、フィクションだからだ。例えばもし、こんな仮面ティーチャーのようなシステムが存在するとしたら、筆者は決してその状況に恵まれたくないと一瞬で言いたい。それもそうだ、仮面ティーチャーの主人公である荒木剛太も、大概GTOの鬼塚英吉と変わらないかなり無茶苦茶な教師だからだ。